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バンコク在住日本人ギタリストの日記

バンコクの日々の出来事やタイの音楽情報

今の俺だからこそわかること

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少し前にバンコクのホテルの屋上のルーフトップバーでの演奏を依頼された。俺がメインでもうひとり日本人DJは誰かいないか?と言われたので腕が良くて空気も読める若いDJを紹介した。最終的に店のマネージャーが『ミュージシャンはいらないんじゃない?よくわからない音楽だし。DJだけで充分だよ』と言って俺はカットされた。会話の内容は想像だけど、内容はほぼあってるはず(笑) いろいろなBARのイベントにミュージシャンをブッキングする仕事をしているニュージーランド人のその若い友人が、『すまない。俺はKOTAの音楽がめちゃ好きだからマネージャーにビデオも音も聞かせたんだけど…またイベント用意するから許してくれ』と謝って来た。『別に問題ないよ。気にするな。向こうの望んでいることは解るし、謝る話じゃない』って返したんだけど、彼はとても素直な男なので、前回彼の頼みで出たイベントでお客さんがかなり盛り上がったし、いつもほぼ無償で友達としてヘルプしてるのでたまにはいいギャラの出る仕事を…と張り切ってくれたのが結果カットで気にしているようだった。残念ながら俺をブックする場所を間違っただけで気持ちは受け取ったので本当に問題ない。 観光地バンコクスクンビットエリアの洒落たルーフトップバーのクソ忙しいマネージャーにとっては、音楽は基本なんでもいいのである。予算内でお客さんがゆっくり飲めて盛り上がることもできていろいろな雰囲気を味わえて…ってことだ。この仕事にはDJの方が向いている。もしくはヒット曲を歌う歌手やスタンダードをやるミュージシャンだ。誰も知らない音楽を演る男をそこに置くのはリスクでしかない。正直、俺がマネージャーでもそう考えるだろう。当たり前のことである。もし、万が一ここで冒険をしてくれるマネージャーがこの街にいるならば、もちろん俺は面白がってその場に向けてできる限り良い音楽を演奏する努力をするだろう。でもそれは状況的に難しいし、無理してやる必要もないことだ。

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そう話した後でもまだ気にしているようだったので、最終的には『俺はこんなことで傷つくほど若くないし、自分のブッキングは自分でやってるから本当に気にしなくていい。DJが必要なら日本人の腕の良い奴を紹介するし、俺の演奏が必要なときは言ってくれたら行く。これはFriendshipだ』と伝えた。ブッキングも俺ひとりでやるより誰かが話を振ってくれる方が選択肢も増えて充分ありがたいし。今日はそんなこんなで1本消えたけど自分で3本決めたし、過去に受けたオーディションでも受かったり落ちたりボロカス言われたりもしてるし、そんなことは本当にどうでもいいのだ。基本的にこれは音楽の話ではなくて仕事の話なので向こうにもいろいろ都合がある。この街だけでも本当にたくさんのスタイルのミュージシャンがいるし、俺は人の曲をほとんどやらない我儘ミュージシャンなので本来は断られて当たり前。通ったらラッキーってな感じだ。

バンコクで出会った俺の若い友人達はだいたい心根が良い。バンコクの夜を泳ぐには気が良過ぎるかもしれないけど、少々段取りやらグダグダでも最終許せるのは、まだ音楽に夢を見ているかわいいところがあるからだ。厳しい世界やけど、みんながんばっていきましょう。いいこともあれば悪いこともあるさ。

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若いミュージシャンはこういうことを拒絶されたと受け取ってとてもナーバスになったりするけど、必要以上に気にする必要はない。世界は広くていくらでも弾く場所はある。音楽に興味のない人もいれば人生の真ん中に音楽を置いている人もいる。自分の音を追いかけて、諦めずに手を伸ばし続けることが一番大切なことだ。

 

ずっと人前に出て弾いてりゃ細かいことはどうでもよくなる。

長年さらし者になってきた俺の心臓には既に剛毛が生えていて今では何も感じない。

across the border

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Photo วัดพระปฐมเจดีย์ราชวรมหาวิหาร Nakon Patom 

SNS等は問題なかったけどなぜかブログだけ写真があげられなくなってちょっと更新が止まってしまった。一昨夜はナコンパトムで演奏した。もうめでたくもないがその日は俺の誕生日だった。ナコンパトムはバンコクから車で1時間ほどの場所にある 世界最大の仏塔 と、美術と考古学で有名な シラパコーン大学 のある街だ。良質な豚肉でも有名らしい。残念ながら慌ただしくて食べられなかったけど。

1年ちょっと前に仏塔を見に行ったことがあるが、ライブは初めてだった。少し前にピン・クラオの The Overstay のイベントで共演した若いロックバンドのドラマーが俺の音を気に入って呼んでくれた。雨の金曜日でバンコクは名物の大渋滞だった。間に合わないかとバタバタしたが、アパートの近所のおばちゃんやその友人のタクシー運転手の親切のおかげでなんとか間に合った。

会場の Light My Fire https://www.facebook.com/LightMyFirePage/ はとても良い雰囲気の店でたくさんの音楽の好きな若いお客さんが集まってリラックスして楽しんでくれた。最後は共演したバンドとRock'n Rollをセッション。明るくて良いイベントだった。アーティストやミュージシャンを目指す学生が多い街ってのもあって、バンコクでのライブより一生懸命聞いてくれている感もあった。移動でバタついて疲れていたが、良い空気に触れると自然と機嫌が良くなるもんで、写真の俺はわかりやすくご機嫌な笑顔。帰って来てからFBにこんな感想を書いた。

昨夜のライブは会場にいた人が俺以外みんなタイ人だった。バンコクでライブ活動を始めた時から、タイで活動するからには昨夜みたいな景色を見たいと思って弾いていたので、帰りのタクシーの中でとても幸せな気持ちだった。最近少しメロディアスなアプローチをしているけど結局ほとんど即興演奏だったし、初めての場所で俺の音をほぼ誰も知らない状態なのでちょっとした緊張感があったんだけど、何か伝わったってことは空気でわかるもんだ。正直ホッとしたし嬉しかった。

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かなり若いんだけどブルースロックのカバーとオリジナルをやっていた。俺がガキの頃に先輩達に教わったような曲だ。みんな演奏力はかなり高い。

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店先にスピーカーが吊ってあって結構な音量が出ている。演奏が終わってから外に出たら道を挟んだ別の店のお客さんから拍手をもらって後程FBにメッセージが届いた(笑) 日本だと近所の店に通報されて即アウト。少しずつ厳しくなってるけどタイはまだ寛大。

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バンコクは外国人がとても多いので、客席がタイ人ばっかりってことはなかなかない。特にオリジナルを演るイベントでは必ず外国人が混ざっている。会場に俺以外100パーセントタイ人のお客さんという状況は本当に初めてだったんじゃないかな…なので本当に印象的だった。終わってからも閉店までお客さんや共演したみんなと話したりしながら平和に過ごせたし、記憶に残る一日だった。

 

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友達に向けて演奏するな!

昨夜もBARにたまたま居合わせた若い友人に尋ねられて同じ内容を話したが、俺はバンコクではセッション以外では最低限しか日本人と組まないようにしている。理由は単純でここがタイだからだ。外国で同じ国の人間で固まっていると輪が固く閉じてしまう。この状態でイベントを繰り返すと右肩下がりになるし、他の国の人にすれば居心地が悪いので集客に良い影響はほぼない。日本で活動している時もジャンルごとに固まって閉鎖的になっていくのが嫌で、今と同じように意識してひとりでアウェイに出向くという動き方をしていた。群れが好きじゃないっていう偏屈で面倒な性格のせいももちろんあるとは思うけど、友達の為にだけ演奏していると自然と『身内受け』を意識した威力の無い音になっていくのが嫌だ。とにかくこれが一番最悪だ。

過去にそうやって音楽を始めた頃に持っていた無垢な輝きを失くしていったミュージシャンを何度も見た。『学生の部活やサークル活動みたいな音楽をわざわざ会場に足を運んで金払って見たい奴がいるか?なんでオリジナルを作り始めたのか思い出せ!』と何度も言ったことがある。ガキの頃はのぼせ上って 俺 vs 世界くらいの気分だったはずだ。いわゆる中二病みたいだけど、やるからにはこれが正解だ。いつの日か俺がこの気持ちを失くしていることに気づいたら、その時点で演奏活動を止めようと思っている。

ちなみにあくまで心意気で実際に傲慢に振舞えという意味ではない。それをやるとほんまの阿呆で鬱陶しいだけなので、あくまでこれは心意気の話。

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もちろんバンコクで活動している日本人のDJや楽器弾きの友人やオーガナイザーには活動初期からいろいろサポートしてもらっているし、きっかけをもらっているのでとても感謝している。必要とあらばいつでも貢献するつもりだ。ただ、本当の意味でイベントに貢献するってのは俺が演奏することでその場に新たな交流が発生することだと思っている。最低限その集団ににとって異分子/非日常であることも必須だ。これは色々な場所で演奏して結果を出して名前を売ることでしか実現できない。その為には常に友人の輪の外側に意識を向けて腕を磨いて輪を広げ続けなくてはいけない…とか偉そうなことを書いてはいるが、俺は既にがっつりおっさんなわけで、華はないし愛想もないのでものすご~く地味な歩みにならざるを得ない。なので、貢献するにはまだまだ足りてない感は正直めっちゃある。兎に角、これからも精進することだけは約束するので、必要だと思えば呼んでください。

本日は以上。

出会いはいつも突然だ

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昨夜は急遽キャンセルの出た友人の主催する小さなイベントに助っ人で出演した。SONGWRITERS NIGHT というイベントで、会場はプラカノンというエリアにあるMA RUMBAというオーセンティックなBAR。お客さんはほぼファラン(欧米人)とタイ人で、前回と違って日本人はひとりもいなかった。

イベント名の通り俺以外は歌い手ばかりだった。BARの2階の会場は程よく小さくてみんな肩寄せ合ってリラックスして歌を聞いていて、アットホームな雰囲気が弾き語りが良く似合っていた。俺は急に参加したエクストラなので最後にゆるやかでメロウなセットを…と思っていたが、真夜中近いのにお客さんもけっこう残ってくれていたので、なんだかんだで結局いつものように少し激しい場面もありつつの30分のソロセット。

毎回目の前のお客さんを気にしなくてはいけないと思うのだけど、集中していると顔を見るのを忘れてしまう。ギターを弾きながら3台のループマシンの操作をするのはかなり忙しいのでどうしても必死になってしまう上に俺は一切 MCをしないので、愛想がないことこの上ない。エンディングのアルペジオを弾きながら、『しまった…お客さん気にせずに一気に弾き切ってもた...』と思ったが、最後のコードを弾いた瞬間にたくさんの拍手をもらえてホッとした。

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『なんで穴埋めの急な出演とか引き受けるの?』と不思議がられることもあるが、基本的に俺を知らないであろう人が集っている場所ならば意味があるので時間と体力が許す限りは引き受けることにしている。聞いてもらうことに意味がある。部屋で弾いていてももちろん誰も聞いていないわけで、小さいイベントでも誰かの為に演奏する方が良いに決まっている。あと、バンコクはタイの首都で東南アジア最大の都市だ。小さなイベントにこそ面白い出会いの機会が待っている。大きなイベントはとにかくカオスなので誰かと話をする機会は無い。

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昨夜の演奏が終わってから皆が声をかけてきてくれた。バンコク在住のアメリカ人フィルムメイカーが映像作品に使いたいと熱く語ってくれて連絡先を交換したし、カンボジアの美しい島Koh Rongでフェスティバルを主催している男性は、今日になって2018年4月のフェスティバルにブッキングしたいというオファーのメッセージをくれた。小さなイベントでも急な話でも弾き続ける理由はこんな出会いにある。音楽は一瞬で国境を超える。新しい出会いを得て旅は続くのである。

明日はアート系のイベントで45分ソロ ×2セット。今からベーシックを洗いなおす。

楽しんでいってみよう ♪

写真)クアラルンプール、チャイナタウン

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先週火曜日の夜からビジネスビザ取得の為にマレーシアの Kuala Lumpur にあるタイ大使館に向かった。先々月からの就職のゴタゴタで出入国による旅費が嵩んで死にそうになっているので、今回は飛行機を諦めてバスで向かうことにしたわけだが、往復50時間以上の連続バス移動は想像以上にきつかった。もし時間に余裕がある場合は先々で宿泊しながら進んでいけばとても有意義で良い旅になると思う。バスが進んでいくにしたがって人種、文化、宗教の混ざり具合が変わっていって日本では見られない大陸の光景が楽しめる。

 

写真)ハジャイのバスターミナル

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詳しい理由はわからないが今回入社する会社の規定で Kuala Lumpur、もしくは東京、大阪でのみビザを取得できるという条件だったのでバンコクから一番経費の掛からないマレーシアに初めて行ったが、ムスリムの国なので仏教国タイとはかなり文化が違う。国境の町HAT YAI (ハジャイ)に着いた時点でヒジャブ(イスラム教徒が頭を覆う布)姿の女性がものすごく多くて、タイ仏教様式のお寺もあまり見かけなくなり既に別の国のようだった。タイ南部は日本大使館から渡航注意の勧告が出ている危険な地帯で日常的にテロが多い。俺の行っていた時期にも小さな爆弾テロがあった。宗教による文化の違いという意味ではマレーシアといっても良い地域でタイ政府もあまり良い扱いをしておらず、常に揉めている理由はそのあたりにあるようだ。通過しただけなので危険なことは何もなかったし現地の人も少し荒っぽいけど皆親切だったが、バンコク以北との雰囲気の違いは肌で感じることができた。

 

写真)KLセントラルの路地

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マレーシア入国からクアラルンプールの街までは9時間ほどかかった。とても自然が豊かな国で地域によってココナツ畑ー水田ー果樹園ー工業地帯…という感じで良く整備されていて道路もゴミが少なくてとてもきれいだった。カンボジアプノンペンからバスで帰っているマレーシア人のDinというおっちゃんが隣の席で、暇なのかずっと通りすがりの街について説明をしてくれたので退屈しなかった。ただ、どこに行ってもハエが多くて屋台等はかなりヤバい。途中休憩に寄ったドライブインで、でっかいハエのたかった料理を食うのはなかなか抵抗があった。かといってなにも食わないわけにもいかないので、嫌々食っていたわけだが、結局お腹を壊すこともなく無事帰って来たので、そういう意味では俺には結構耐性があるようだ。流石に水には気を付けたが…。そんなこんなでとにかく時間はかかったが問題無くクアラルンプールに着いたが、予約したゲストハウスをさがすのにチャイナタウンを2時間ほどさまよう羽目にはなった。1軒だけ雰囲気が違って浮いていたレゲエバーを見つけて、スタッフの親切な兄ちゃんたちのおかげでなんとか目的地にたどり着いた。その後の手続きはほぼ問題なかった。東南アジアの街中は日本よりFree Wifiが充実しているので、情報を得るのが容易い。目的地へのポイントをメモさえしておけば、あとは通行人や駅のスタッフとコミュニケーションをとるだけでなんとかなる。アジアの人は基本親切で目に見えるような差別もないので、大概の人は尋ねれば答えてくれるし案内してくれるケースも多い。たまに悪い奴もいるのでそこだけ気を付ければよい。 

 


到着した次の日に大使館でビザを申請して、その次の日には受け取り。書類は揃っていたのでこれも問題なし。ただ、大使館でのやり取りには少しだけ英語ができないとバタつくかもしれない。とにかく無事にビザを受け取って電車で帰路のでっかいバスターミナルへ移動。前日にチャイナタウンの旅行社で帰りのバスの予約を頼んだが、向こうの英語が怪しくて案の定、日にちを間違えていた。カウンターで代わりのバスをさがしてもらったがその日の分は満席で次の日の朝の便になった。仕方ないのでセントラルステーションに戻って駅の周りの安宿をさがして泊まった。改築に次ぐ改築でビルの内部が迷路のようになっていて、火災が起きたら死ぬなぁと思ったが予定外の宿泊だったし予算の問題もあるので諦めた。

 

写真)クアラルンプールのバスターミナル(TBS)

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クアラルンプールからタイ国境に向かうルートは大渋滞していた。行きは9時間で着いたのだけど、帰りは12時間以上かかって午前8時に出発してハジャイのバスターミナルに着いたのは午後9時前。国境を越えてからバスターミナルまでの道もけっこう渋滞していたのでバンコク行のバスに間に合わないと踏んで、ミニバスはあるかとか国道でトラックをヒッチハイクできるかとか駅まで行って列車の有無をチェックするかとかいろいろ考えていた。バスターミナルに着いてバスから降りて走ってチケットカウンターのお姉さんに『バンコク!帰らなあかんねん!』と日本語で捲し立てるとおばちゃんがやれやれという表情であちらだと指さすので走りながらバンコクバンコクと連呼して、振り向いた若い兄ちゃんを掴まえてターミナルの外にあるカウンターに案内してもらった。

『Ticket to Bangkok!! From now !!』
『OK.10 min' later. Hurry up !!』
『Thanks !!!!』

…ってな感じで携帯の充電もできず飯も食えず水も買わずでそのままバスへダッシュ。けっこう空いていたのでゆっくり座れて助かった。

バスに乗ってる間は何もすることがなかったので、帰ってすぐに出演するライブセットのシュミレーションを作っては壊し作っては壊し…帰路の間にノート2ページほどびっしりメモを書いた。バンコクの部屋に戻ってビールを1本飲んで倒れるように寝て起きてメモを見直したら、もうすっかりそのセットには興味が無くなっていた(笑)

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ライブはローカルエリアで開催されたが日本のバンド2組とタイのアーティストと俺の組み合わせで日本人客が多くて不思議な感じだった。とりあえずイベントが無事終了して帰ってからひたすら寝た。長時間の移動はやっぱりしんどい。飛行機って値段の分楽だわ。

 

さっきバンコクから日本に移住して高校の先生をしているアメリカ人ASIAから近日バンコクに遊びに来るというメッセージが届いた。日本はとても良い国で快適に暮らしているけど北朝鮮の核問題を心配していると書いてあった。ここで暮らしていると日本にいる頃とは比べ物にならないくらいたくさんの国の人と会うが、大概は良い人間で個人レベルでは争い事をほとんど見ない。基本的には戦争は憎しみから始まるわけではなく多国籍企業の経済活動の為に勃発するのだということを感じている。北朝鮮に関しては国のシステムが特殊過ぎるので理解するのが難しいけど…。

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情報過多は想像力を殺す

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これから書くのはあくまで個人的な感想やけど、ケミカルブラザース、アンダーワールド、ファットボーイスリム、レディオヘッドビョーク等々の90年代のビッグアーティストが2017年現在も相変わらずロックフェスのヘッドラインってのは違和感がある。時の流れが止まってしまっているみたいだ。俺は世代的にもちろん大好きだけど、もう2017年だ。閉塞感が強すぎて俺の好きなスタイルの音楽の時代は終焉を迎えるのだろうと思うと悲しくなる。もう既に終わってるのかもしれんけど、好きなので生きてるうちは希望を持ちたいもんである。だがしかし、そう遠くないうちにPC MUSICに負けて絶滅してロックはサンプリングネタとしてパーツの一部としてだけ扱われるようになるんだろう。ディストーションギターリフの前時代な空気感が欲しいよね…的な使われ方だ。何もかも薄く軽くなっていく。カート・コバーンの死後、心を揺さぶられたロックスターは皆無だ。もちろん素晴らしい作品にはたくさん出会ったけど、心を撃ち抜かれるような存在は出現していない。

個人的にはロックバンドは2000年以降ほぼ進化していないと思っている。細分化が進んでより音楽的により繊細により先鋭的になったが、ロックンロールがダンスミュージックであった頃に多種多様な観客を魅了していた『強大なエゴが放出するでたらめなエネルギー』を失くしてしまった。初期衝動を失くして頭で考えて作る音楽になってしまった時点でロックは存在意義があやふやになってしまった。結果、中途半端でうるさい音楽よりも観客に快楽を与えることに特化したダンスミュージックが世の中のメインになっていったってのは納得できる結果だ。コアを失くした音楽は美味しい部分だけを商業音楽に吸収されて消えていく。機材の進化とネットでの情報共有でアンダーグラウンドミュージシャンの裾野が広がった結果、ハードコアな次代の音楽を生み出すはずのアンダーグラウンドシーンまで存在意義が曖昧になって衰退しているように見える。例えば日本のノイズシーンは未だに俺の上の世代がイベントのメインを張っている。要するにおっさんばっかりだ。おっさんの方が今の子供より野放しで育ってきているので現代の若者よりエゴが強いんだろう。楽器弾きは先人の作った膨大なフォーマットを学んでそれを消化して演奏して生活の糧を得るだけで精一杯だ。技術があるのに自分の音楽のイメージを持つ余裕がないしそれを生み出す時間もない。情報過多は想像力を殺す。結果、同じようなフォーマットの同じような音楽が作られる。クリエーターは鈍感で自信過剰な阿呆の方が良い部分もあると思う。

俺の人生を変えたパンクに至っては最早ファッション用語的な意味合いで使われている事の方が多い。悲しいが突出した個性は子供の時点で矯正もしくは排除されてしまう昨今、パンクスという種族が存在すること自体が難しいんだろう。とりあえず懐メロでもいいから長生きしてくれ Iggy。最初にライブ映像でIggy Popを見た時の衝撃、パンク専門のレコード屋でチン〇丸出しで歌っているレコードジャケットを見つけた時の驚きは一生忘れられないだろう。まだ世間知らずだった俺は、『こんなんしてええんや!!すげえ!!』と思って人生を踏み外したわけだが、まだ後悔はしていない(笑)

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フリーの即興ジャムセッションの時に良くある会話。

『何をしたらいいですか?』

『フリーだから何をしてもいいよ。ルール無し。やりたいようにやって』

『え!無理です!何をやったらいいか指示してください』

『指示したらフリーじゃないじゃん。じゃあ、誰の音もフォローしなくていいので、まず自分の一番得意なことをやって、その後は気分次第で』

『それじゃ演奏が合わなくないですか?』

『合わせなくていいんだよ。みんな好き放題やってりゃそのうち合う時が来るから。もし合えばその時は今まで聞いたことのないバランスの新しい音楽になる。ただ、やるからには思い切りやってね。じゃないと悩んだ音になって見てる人が退屈するから』

『思い切り好きにやる… 私にできるでしょうか?』

『人それぞれやからやってみないとわからないね。極端な話をすると、何も出てこなけりゃ弾かなくてもいいよ。カウンターで演奏見ながら酒飲んでてもかまわない』

『はい … あぁぁできるかなぁ(頭を抱える)』

同じような会話を繰り返しつつ、来る前に心構えだけでもきっちり作ってきて欲しいなと毎回思う。ステージで悩むくらいなら断ればいいのだ。だいたいは向こうから参加したいと言ってくるんだし、最低限のコンディションは作って来るべきじゃないかな。スポーツ選手が試合前にトレーニングをするのと一緒だ。臨機応変に動けないと試合にならないわけだし。

フリーはフリー。曲は曲。アプローチが180度違う。セッションの後で興奮できた奴は自分の中になにか表現したいことを持っている奴だ。そうでない奴は曲をしっかり演奏するのが良い。フリーのセッションができなくても生きていくのに何も問題はないし、何事も中途半端が一番よろしくない。

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最近リッチなタイ人の趣味としてジャズやロックの名盤をレコードで収集することが流行っている。 SNSにコミュニティーもできていて、日々名盤レコードがアップされている。庶民には手の届かない値段の楽器もけっこう売れているそうだ。その割にはNU-JAZZとかNu-Soul的なバンドはまだ見たことがない。音楽大学を出ているジャズの基礎を勉強したリッチな若手ミュージシャンは多いし、若い連中はオシャレさんが多いわけだし、服装もばっちり決めてタイ語でオリジナル作って演れば良いのに…と思う今日この頃だが、総じてこの街ではFUNKやSOULといったブラックミュージックを聞く機会が少ない。理由はわからない。

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ろくでもない一日のような、そうでもないような

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今日からライブの無い夜はASIATIQUEで演奏しようと機材の準備を整えて、演奏許可をもらう為に資料とパスポートを携えて、渋滞を避けて早めに部屋を出て予定より早めに現場着。小雨が降っていた…けどこれならなんとか弾けるだろうというレベルだったので、とりあえず許可を貰うために ASIATIQUE Asiatique The Riverfront in Bangkok - Bangkok.com Magazine のオフィスへ。

事務所の入り口でスタッフを呼んでなんだかんだ交渉開始。タイ語で説明しきれなかったもんで、英語のできる女性スタッフを呼んでもらってさらになんだかんだ。『OK。わかったわ。じゃあ明日からね』『え!今日はダメ?機材持ってきてるんだけど…』『今日は責任者がいないので無理です。許可が取れたら後程メールします』と、いうわけで無念ではあるが、先月末から本当にツキの無い負のサイクルに入っている俺である。経験上、こういうツキの無い時は素直に人の言うことを聞くべきだ。下手に足掻くと、より悪い結果につながったりして目も当てられない。なので、お礼を言ってとりあえず返事を待つことにした。

話が終わって外に出ると、ジャルン・クルン通りは既に毎度お馴染み大渋滞が始まっていたので、40キロほどある機材バックを振り回しつつ船着場からシャトルボートでタクシン橋の船着場まで移動。階段を必死で荷物を担ぎ上げてBTSに乗り込んだが時間的にラッシュ全開で荷物が半端なく邪魔。仕方ないので周りの皆様に愛想を振りまきつつ凌いでサイアムで乗り換えの時もえらいこっちゃである。ホームに溢れる人波をかき分けて、2本乗り過ごした後で何とか乗り込んだ。すると、俺の目の前にスマートフォンの画面が差し出されて画面を見ると俺のFBページ。最近どこかで会った爽やかな20代ハンサムタイ人男子が、『すいません。あなたはこのKOTAさんですよね。僕はこの前ライブを見てからあなたをフォローしています。またライブを観に行きたいのですが、今日はこれからどこでやるんですか?』バンコクの若い音楽好き男子は基本的にみんな本当に良い子で礼儀正しく爽やかである。正味な話、失礼な子に会ったことがない。 

『ありがとう。でも今は帰り道なんだ。今日は夜の演奏予定が無くなってしまって今がっかりしてるんだよね』『残念ですね…次はいつなんですか?あなたの演奏スタイルは…』てな感じでロックバンドのギタリストだという彼はその後もキレイな英語でテンション高く長々と俺の演奏を褒め称えてくれたが、40キロの機材を持って行ってスゴスゴ帰るタイミングがラッシュ時で、デカい荷物を抱えて皆さんに完全に迷惑をかけているめちゃめちゃ間の悪い男には、嬉しいけどこっ恥ずかしいという複雑な時間だった。

日本ではSNSの友人リクエストにはメッセージを添えて…ってな固いことを言っているが、こちらではぜんぜん関係なくて興味があれば知らない子でもガンガンリクエストするしリクエストが来るので俺も3年間であっという間に知らない友人が増えた。タイで会った友人が2000人を超えた去年の中頃くらいから、移動中にタイ人の若いバンドマンやライブ好きから電車内や街中で急に声をかけられる機会が増えた。俺の音楽が好きだと言ってもらえるのはもちろんとても嬉しいしありがたい。でも、基本が人見知りの話下手なのでどう対処していいのやら困る。できることなら気の利いた話ができるようになりたい。

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15分ほどの間にいろいろ話したが、真面目に反省させられた事がひとつ。わざわざ話しかけてくれてライブを見たいって言ってくれている若いミュージシャン達にライブの情報がぜんぜん届いていない(印象に残っていない)ってのはかなりよろしくない。けっこうな回数なんだかんだと書いてるにも関わらず肝心な情報が伝わってないってのは遺憾。終わっとる。改善だ。

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改善と言えば、タイに『改善』って和食レストランがある。あくまでイメージだけど、オーナーは日本人ではないだろう。『MUTEKI』って和食レストランもある。これもオーナーは日本人ではないだろう。『すいか』っていうブランド名の服のメーカーもある。オーナーは日本人では…。東南アジアには変な日本語の店の名前や看板等々たくさんあるが、バンコクで見て一番謎だったのは妙にメジャーな感じでみんながTシャツを着ている『Superdry (極度乾燥しなさい)日本人が知らない世界超人気ブランド「Superdry極度乾燥(しなさい)」の謎 というわけのわからない日本語のブランド名だったが、これはタイじゃなくてイギリスのブランドで、日本に旅行に行った時に飲んだアサヒスーパードライに感動してつけた名前らしい。どっちにしろどないやねん。

生きるってのは大変だ ー2012年の日記よりー

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2011年の9月にバンコクに移住した。その年の洪水の影響で就く予定だった仕事が急に無くなり、先行きが不安な上に機材をほぼ全部叩き売って部屋も引き払って来たもんで帰る場所もないし音楽やるにも機材もない…ってことで完全にテンパって新たな仕事を作ろうと右往左往していた5年前の日記。今の自分と感じ方がだいぶ違っていて新鮮だなと思ったもんで載せてみる。この頃は日本を出て半年ほど経ったころで、けっこう重度のホームシックにかかっていてさみしいって話ばかり書いている。

 

2012年4月9日

完全に疲れていたのだけど、いや疲れ過ぎていたからなのかな?とにかく浅い眠りで何度も夢を見ては目が覚めるばかりで朝が来てしまった。見る夢といえば誰かと一緒に平和に眠っているという夢ばかりで、どうも例のごとく「さみしい」が形を変えて訪れているいるようだ。今回は夢なので誰にも迷惑がかからなくて良いが。その一緒に眠っている相手が毎回変わっている上に記憶にない見知らぬ誰かだというのは心理的にどうなんだ?と明けていく街を見下ろしながらよくよく夢の中の相手を思い出そうと考えてみたがやはり思い当たらぬ。一般的に夢に観るのは今までの記憶から構成されるイメージだというが、はっきりと思い出しても知らない顔なんだけどね・・・まあ夢だし曖昧なもんだ。

「あたたかくてやわらかいものをさがしている。」

3度目の夢から覚めた時に気づいたが、これは子供の頃に感じていた母のイメージだ。思い当たるフシがたくさん出てきたが俺は多分母親のいないマザコンなのだな。たちがわるい。動物がくっついて眠るように何かに触れていたい。今までは一人の夜も猫達が常に俺を寂しさから救ってくれていたわけであいつらに深く感謝しなくてはいけない。統計とったら多分はっきりと出ると思うけど子供の頃に母親に十分触れて育った奴はそうでないやつに比べてあまり恋人や友達にべたべたしないだろう。足りないかったからずっとさがすのだな・・・てなことを考えたのはBARで会って友達になったNidの過去から今に連なる生活を知るにつれて徐々に認識してわかってきたと思ったことが俺の想像をはるかに超えていてまだ何もわかってないじゃんと愕然としたからで、果てしない階級社会の負の連鎖に太刀打ちするには果てしなくポジティブじゃないといけないんだなと・・・マイペンライは深い言葉だ。俺は中途半端にアッパラパーで中途半端に悩む。ぬるすぎるぜ。

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今日はタイ国王のお姉さんの命日ってことでお酒が禁止の日なのでBARは基本お休み。昨夜もROCK BARに飲みに行ったらスタッフのNidが「コウタお腹が減った」というので屋台の安いご飯を ご馳走した。するとそれこそ野良猫の勢いで食べていたので、「なんでそんなにお腹が減ってるの?」と聞いたのが俺を驚かせて混乱させた話の始まりだった。個人的な話なので内容は書かないが、彼女は笑っていたが俺ならもう死んでるかもしれんってな内容だった。確実に心が折れる。最終、明日休みならご飯に行こうって話になって、俺の行ったことの無いタイ人ばっかりのところへ連れて行くことを条件にNidと夕食を食べる約束をした。
待ち合わせ場所に一時間遅れてきて、さすがに俺は帰りかけていたけどそれにはまた理由があったりしてこれまた書けない内容のカルチャーショックである。謝りながら現れた時は人なつこい猫みたいに過剰にすりすりしてたけど、ほとんどタイ人しかいないめっちゃでっかい食堂で山盛りの肉とエビを食べて、お腹いっぱいになると一瞬で俺から興味を失うところもうちの猫たちと一緒だったな。おもろい。

「ありがとうコータ!お腹いっぱい!友達と遊んで来る!」と嬉しそうに帰って行ったのでとりあえず俺はスコールのあとの水蒸気でふやけた月を眺めながらふらふらと散歩して帰った。通りがかりついでに歩いたソイ カウボーイはBARがほとんど閉店していて真っ暗で、住み込みの女の子達がイサーンの歌を聞きながらまったりしていた。いろいろあるけどそれでも日々は往くわけだ。

 

俺はこの時期に楽器が弾きたくなるとソイ・カウボーイの場末感漂う ROCK BAR のBANDに乱入して夜な夜なブルースやロックを弾いていた。自分のライブをやるようになって人に会う機会が増えるとほとんど行かなくなってしまったが、何かの機会に店の前を通りかかると今でもスタッフに声をかけられるし、バンドのメンバーに街で会って話をしたりもする。とにかくこの店ではタイ語のレッスン代わりにスタッフのおばちゃんたちと話をして、飽きると古いロック/ハードロックの名曲を弾いて酩酊して沈没しかけているファランのおっちゃん達にビールを奢ってもらっていた。

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文中のタイ人の女性Nidとはもう長い間会っていないが、数年前に街で会った時は彼女はファランのやさしそうな男性と子供と3人で歩いていた。幸せそうでよかったなぁと思ったが、彼女が声をかけてくれるまで俺は彼女が誰だかわかっていなかった。全身整形ってすごい。顔も体型も変わっていてまったく別人だった。