An "I " Novel from The City Of Angels

Diary 『バンコク在住日本人ギタリストの日記』

Peaceful Laboratory Experiment

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チェンマイのホテルはブッキングしたがチェンライが初めてで土地勘ゼロなのとやたら広いのでどこが良いのか全くわからない。おまけにレコーディングに使うスタジオは郊外にあるらしくてどうしたもんやら相談しつつもう一件振っているライブの返事を待っているわけだが、決まっているライブのフライヤーが上がって来た。コンサート告知っぽい真面目でしっかりしたデザイン。あとは演奏の準備を整えて人が集まってくれることを祈るしかない。知名度が無いので現地に行ってその場に立ってみないと何もわからない。このイベントは会場がギャラリーで酒場ではないので純粋に演奏を見に来る人しか集まらないし、チェンマイもそうだが地方都市の夜は早く観光客は多いが現地人は少ない。商売人が多いので集まるのは2時間程度で一気に終了する。人づてや物珍しさでやって来る様々な年代の様々なみなさんに知っている曲や耳馴染みのある音楽を1曲もやらず言葉も使わずに1時間集中してもらって何かを伝えられるか…というのが長年続けている俺の挑戦だ。飽きさせたら一気に崩れ去るし、かといって音の大きさや奇をてらったパフォーマンスではたかが数分しか持たないので、じっくり話を聞いてもらうような演奏になる。ずっと追いかけてきたのはこの状況を突破できる音楽なので、今回の状況は個人的にやりがいがあってとても嬉しい。

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バンコクでは実験的ミュージシャンのような扱いをされることが多いので、必然的に《エクスペリメンタルミュージックが好きな人にエクスペリメンタルミュージックの演奏を見せる》ということになりがちだが、これは《アイドル好きにアイドル》《レゲエ好きにレゲエ》《馬に人参》《猫にまたたび》《おっさんにゴーゴーバー》的な当たり前のエンターテインメントの構図で実験的とは言い難い。音楽を愛している人ほどきっちりとターゲットに狙いを定めたオーガナイズをするもので、それはもちろんとてもありがたいことなんだけど、宣伝段階で来る人ががっちり選別されているわけで、たまに何かが足りていないような気分になる。単純にどちらもやりたいのだ(我儘)

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相変わらず遊びにも行かず誰にも会わない日常で、ライブが無かったら俺は人としてほぼ終わってるよなぁと帰り道を歩きながら思う。何が怖いってそれを苦にしていない自分の感情がどこか欠けているような気がして怖い。みんな誰かの為に生きているというのに俺にはそういう部分が全く無いって状況なわけで『俺は本当に生きているのか?』と疑いたくなる。そして誰かに演奏を依頼されて自分の生存を確認しているわけだが、そのうち呼ばれなくなる日が来るだろうし、さてどうしたもんだろう…?と考え出すと真っ白だ。チェンライの星空はスゴイらしい。良い機会なのでゆっくり考えてみよう。