An "I " Novel from The City Of Angels

Diary 『バンコク在住日本人ギタリストの日記』

死について考える

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友人は今日バンコクの Klongtoey Nai Temple にて荼毘に付された。事件性は無く突然死だったそうだ。一昨日、御家族が彼女のFBページに訃報を記載した後で彼女が友人たちと撮ったたくさんの笑顔の写真や追悼メッセージのおかげで彼女が友人に恵まれて愛されていたことを実感して、少しだけ心が軽くなった。 
最後に話した時、彼女は友人と喧嘩をしたばかりでけっこう悩んでいて、出会って二日目で状況がなにもわかっていない俺がアパートの屋上で生ぬるい風に吹かれながら酒を酌み交わしつつ長い時間彼女の最近の悩みを聞いていた。同時に、昨年始まったばかりのアートプロジェクトについても彼女は熱く話してくれていて、俺は悩みながらも100パーセント前向きな彼女の姿勢に感心していた。それもあって、いろいろ心残りだろうなぁと思うとえらく悲しくなっていたんだけど、彼女が友人に愛されていたことは俺の見た写真のみんなの笑顔からでも十分に伝わってきて、彼女はまだまだ進みたかっただろうけど、パワフルに思うがままに生きた良い人生だったのではないのかな…と思えて俺も救われたような気分になったのだ。 

まだまだ死にたいとは全然思ってないが、この数年間は俺自身の死について考えることが多い。もう人生の半分は過ぎたと思っているし独りなので終わりについて考えずにはいられないって感じだ。今こうしていることは自分の選んだ道なので孤独なのは仕方のない話だが、仕事と一緒で人生にも『きれいに仕舞いをつける』のが一番だろう。いろいろ調べていたらヨーロッパの一部の国には不治の病の人間には安楽死という選択肢がある。それにはもちろん様々な条件があってお金もかかるが、それをクリアすれば外国人でも自分の意志で死を選択することができるのだ。今のところ自分の人生を自分の意志で終わらせる為の資金を用意しておくことが人に迷惑をかけず一番綺麗な終わりではないかと思っていて、ここに滞在するビザの為だけでなく、最低限その資金を用意するためにも日々真面目に働いている感じだ。 

43歳の若さで本当に突然亡くなった彼女の死は俺自身の時間も有限であることを嫌が応無しに実感させてくれた。ことさら慌てるつもりはないが、悠長に構えている場合でもない。明日死ぬかもしれないということは心にとめて気を引き締めて生きなくてはいけない。