An "I " Novel from The City Of Angels

Diary 『バンコク在住日本人ギタリストの日記』

SUNNY DAY SUNDAY ~バンコクの日常のお話~

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個人的なタイの日常

今日も良い天気だ。今週はライブ無し。崩れ切った体調を整えるのにちょうど良かった。今日は音楽と関係ない日常的なことを書いてみる。でもまともな暮らしぶりとは言い難いのであまり参考にはならないだろう(笑)

朝起きてしばらくぼ~っとした後、毎週運河の端の広場で開催される日曜の朝市で朝飯とTシャツを買って来た。Tシャツ2枚で330円くらい。一般的なタイ人向けの服はとても安い。工場流れの品物だろうな…ってな感じだけど選べば普通に着られる。ただ、露店の場合は保存がどうなってるのかわからないので、一度洗ってから着用しないと縫い目に南京虫が潜んでいる可能性があるので危険。甘く見ると2週間くらい痒くてひどい思いをすることになる。暑い国なので汗をかくたびに叫びたくなるくらいかゆい。ちなみにこれに一番効くのはショウガをアルコールに漬けたタイの薬だった。市販のかゆみ止めでは全く効かなかった。

食事は1人前40バーツが基本。日本円130円くらい。ただ、化学調味料使用しているし油があまり良くないので多分身体にはあんまりよろしくない。とにかく安いので300円も出せばフルコースって感じ。お菓子やケーキも売っているが口に合わないだろう。特にケーキは冗談ではなく眩暈がするくらい甘い。毎夕この市場で飯を買うが、生の肉や魚には巨大なハエがバンバンたかっていて潔癖症の人にはたまらん苦痛な光景やろな。生カエルが腹を上にして山盛り並んでいるし、コオロギが箱の中にうじゃうじゃいてリンリン鳴いてる横で新鮮なまま素揚げにされて売っていてタイらしい光景ではある。ここからほんの百メートルの場所には洒落たワインバーや高級レストランや会員制クラブが建ち並んでいて、そんなエリアにこの市場があるって現状がバンコクの貧富の差とかタイの都市計画の適当さを象徴していて気に入っている。

市場のすぐ横には建築現場で働いているミャンマーカンボジア人の住むバラックが並んでいて小さなスラムを形成している。その一角のすぐ横には現在高級コンドミニアムが建設中である。トンローと言うエリアは日本人街と言っても良いくらい日本人だらけだが俺の住んでいるエリアにはあまりいない。同じエリアなのに家賃が10倍以上違うわけで、生活レベルが違うので買い物の場所から違うので当然そうなる。

最近ではほとんど友人と会う余裕すらなかったので昨今のバンコクの日本人社会についてはほとんどわからない。相変わらず日系の店は増えているし(もちろんその分潰れてもいる)日系のホテルも進出している。日本フェアみたいなものも多いし、よほどの政治的な変化が無い限りはタイは観光地、移住先として良い国なんだろう。

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普段の1日

朝5時に起きる。日本時間の仕事をしているので朝が早い。就職するか起業しないとビザとWP(労働許可証)が手に入らないので出たり入ったりしないと行けなくてかなり面倒だ。金もかかるし落ち着かない。昨今は取り締まりも厳しいので出たり入ったりもそう長くは続けられない。いきなりもう入れないから出て行けと言われるとそれまでの苦労もあっという間に水の泡である。定着するならばとりあえずこの点だけは押さえた方が良い。金がある奴は何も気にしなくて良い。半年タイで遊んで残りは周辺国を周遊していれば問題ないからだ。

さておき、仕事に向かうにはバスとBTSバンコクスカイトレイン)を使う。駅までのバスは片道7バーツ(24円くらいかな)の赤バスBTSは片道23バーツ(70円そこそこ)で4キロくらいなので涼しくなると運河沿いを歩いて通う。バスはクーラー無しなので渋滞時は暑さと排気ガスで息苦しい。雨の日は蒸し暑いし渋滞で進まないしで最悪だ。それでもお客さんはみんな整然と乗っている。タイの人は基本は列に並ぶし騒がずおとなしく待つので気が楽だ。みんな身綺麗だし問題はない。問題は運転の荒さ。乗ると座る前には走り出す。急発進。ガンガン飛ばすし車線変更も気儘でいきなりだ。チケットは無くて朝は運転手が集めに来るか降りるときに払うかで気分次第なので決まっていない。ちなみに、他の路線バスを使った時も案内に出ていた行く先について乗ってから車掌の女性に聞くと『その手前までしか行かないよ。降りてから他のバスさがしな(タイ語)』ってな感じで不愛想極まりない。英語は一切通じない。まあ乗って降りるだけなのででかい声で行く先を連呼していればそのうちたどり着けるが…かなり面倒くさい。お客さんは親切な人が多いのでお客さんに聞く方が良い。BTSとMRT(地下鉄)は問題ない。すべて案内が出ているし英語も通じる。ネットで見れば駅も全部出ているので必ず着く。クーラーも良く効いているしマナーも悪くない。

仕事をして昼休みになると向かいのビルの地下にある食堂に行く。これまた40バーツくらいで食べられる。ただし昼時に行くとパニックである。長蛇の列で席の取り合いに相席当たり前。慣れないとわけがわからない。でもオフィスワーカーがひしめき合う光景は現在のバンコクの一つの側面としては見て面白い光景なのかもしれない。日本人はアジアの他の国を基本下に見る傾向があるので、商売をしようと考えている人は考えの甘さを矯正するには良いかもしれない。日本は下り坂の年寄りだ。今では他の国の方が伸び盛りだし勢いがある。整然としていることが必ずしも良いわけではないと最近よく思う。ここでも目につくのは騒然としているけどやいやい言いながらも譲り合って収まっていくタイ人の一見バラバラのようだけどそうでもないという独特の協調性。篇に我慢ばかりしなくても最終的にはどないかなるんやなといつも感心する。我慢ばかりさせられて細かいことばかり気にして病気みたいになるよりはぜんぜんマシだ。

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先週の金曜にコンビニでコーヒーを買って店の前で飲んでいた時に盲目の夫婦がタイでよく見る電車遊びの体制(奥さんが杖を持っている旦那さんの肩に手を置いて縦列で歩く)で歩いてきた。朝の道は露店がたくさん出ているので障害物が多いので歩くのには危ない。すると新聞売りのおじさんが手を引いて目的地まで連れていく。旦那さんは買い物に店に入る。奥さんは外で立って待っている。おじさんは自分の露店から椅子を持ってきて奥さんを座らせる。旦那さんが出てくると奥さんは椅子を持って露店の叔父さんに返しに行ことする。おじさんは走って来て『ありがとう』と言って夫婦も『ありがとう』と言ってまた電車状態で歩き去る。こういう光景は日常的にあらゆる場面で義務的では無く自然に行われる。こういう部分が日本人がここに定着できる一番の理由だと思っている。当たり前に自然に行われる気遣い。良い国だ。

オフィスに戻ると夕方まで仕事。終わると帰りは1時間ほどかけて歩く。運河沿いまで街中を歩くと夕刻の回転に向けて店が慌ただしい。道は裏通りまで大渋滞。タイの道は日本の道のようにつながっていない。道の作り方が適当なので憶えるまでは行ったり来たりしながらだいぶ時間がかかった。それと、基本的に歩くように作られていないのでいきなり歩道が無かったりするのは当たり前。横断も大変。排気ガスもひどい。なので、運河沿いの遊歩道に着くとホッとする。イスラム教徒が多いので学校帰りのヒジャブかぶった女学生や仕事帰りの姦しい集団やおしゃべりをしているおばちゃんたちの間をブラブラ歩く。おばあちゃんが洗濯をしていたり爺ちゃんがじっとタバコを燻らしている。歩行者を縫うようにしてバイクがバンバン走ってくる。運河を船が行き交い跳ね上がる汚水を避けながら30分程歩くと市場に着く。夕方の市場は足の踏み場もないほど込み合っている。ゆっくりと歩きながら今夜の飯をさがす。露店の不機嫌な顔をした体格の良いおばちゃんの子供が10分の1スケールのミニチュアみたいで不機嫌な顔まで瓜二つで可愛らしい。足元を猫が走り抜ける。態度のでかい犬が道の真ん中で寝ている。みんなそれを踏まないように避けて歩くくせに人間は避けない。下町のサインは野良犬、野良猫、半裸のおっさんだ(笑)仏教系の入れ墨だらけのおっさんが屋台の人でごった返す軒先で車座になって飲んだくれている。夕食を手に入れると市場を抜けて、船が通ると汚水が2mほど跳ね上がるアクションゲームのような難所の橋をタイミングを見計らって順番に走り抜ける。するとスラムの商店と食堂が見えてくる。作業服を着たミャンマー人の独特の言葉が耳につく。食堂の太った毛玉のようなヨークシャテリアが猫を追って走って来るがめちゃめちゃ遅い。それを見て笑っていたら食堂のおばちゃんと目が合ったのでご挨拶。食堂のおばちゃん達はとてもたくましくてきりりと男前揃いだ。ここを抜けるともうアパートだ。アパートの前にある店でいつも座っている少し惚けが始まっている可愛らしいおばあちゃんに挨拶をして店主の双子のおばちゃんの片方に声をかけてビールを買う。アパートのセキュリティーと目くばせであいさつを交わしてアパートのオフィスのオーナーとアニメ声の娘さんと挨拶をしてエレベーターホールへ。帰宅。

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こんな感じで普段の俺の1日はとてもシンプルだ。ライブがあればこの後機材を担いで再びごった返す市場を潜り抜けて出かける。夜のバンコクの繁華街はまたぜんぜん違う顔を持っている。多種多様な人種に多種多様な個性が渦巻いていてまさにカオスって感じで以前にも書いたが90年代のサイバーパンク系映画の近未来都市みたいな光景がみられる。日本では繁華街の外れに住んでいたのでこの街のネオン街のど真ん中に住んでみたいという欲求が疼くときもあるが、それはもう少し落ち着いてからだな。