An "I " Novel from The City Of Angels

Diary 『バンコク在住日本人ギタリストの日記』

たまには目線を変えた方が良い

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俺は敬虔な仏教徒ではないけれど一応自分は仏教徒だと思っている。たまにお寺に行くと気持ちがリフレッシュされるのでふらっと行ってはしばらく本堂のど真ん中に座る。昔から変な癖があって部屋の中心を確かめたくなる。中心を決めて仏像の位置とか照明の位置が芯ずれしていないかとか確かめたくなるのだ。そのかわり、お寺の名前だとかなにが有名なのかとかはほぼ何も気にならない。とりあえず小さかろうが大きかろうが雰囲気が気に入ればどこでも良い。写真は今までで一番壁の絵の細工が素晴らしかったアンポワーのローカルなお寺。レリーフの保護の為に普段は締めきっていて見られない内部の美術を幸運にもゆっくり見させてもらった。お寺の人が『お前わざわざ日本から見に来たのか!?』という感じで盛り上がって見せてくれたので、たまたま通りかかったとかバンコクに住んでいるってのは内緒にした(笑) 今のところ一番心に残ったのはこのお寺だ。こんな精緻な細工を時間をかけて造り出す人間ってのはほんとうにすごい。この『手』のおかげで人間は進化したわけで、全世界的に職人にはもう少し敬意と金を払うべきだと思う。このままだと虚構の中で金を生み出す人間しかいなくなってしまうと素晴らしい手仕事を見る度に思うのだ。

ビザの関係でよくいくビエンチャンにも気に入っているお寺がいくつかあって時間ができるとふらっと歩いて行ってみる。タイよりも古いお寺が多くてお坊さんがワイルドでかっこいい。チェンマイにもとても良い佇まいのお寺がたくさんあって木造の建築が特に美しい。そのうちチェンライにもお寺を見に行ってみたい。バンコクのお寺は綺麗なんだけど金ピカ成金趣味で土着のアニミズムやらバラモン教やら土地柄なのかいろいろな国の宗教のエッセンスが混ざっているカオスな感じで日本のお寺とはまるで方向性が違うのが興味深い。個人的にはこの曖昧でなんでもありな感じが仏教の良いところだと思っている。

今日はエカマイの駅前の改装したてで金ピカド派手なお寺でゆっくり座ってみた。街中だけど良い風が吹いていてやっぱり特別な空気が流れていて、心の風通しも良くなったような気がした。

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ここのところえらく首が痛いし肩がこるなぁと思っていたが、どうやら原因は3カ月前からやっと使い始めたスマホだ。それ以前は小さな旧式の携帯電話とi-padだったので必要な時以外は持ち歩いていなかったがi-padが壊れたもんで変えたんだけど、要するに首の痛みは小さい画面をうつむいてのぞき込んでいる時間が増えたのが原因だった。勢いでスマホを捨てそうになったが、見なけりゃいいやってことで意識して使う時間を減らして街を見るようにしたらマシになった。

昨夜、近所の屋台に食事に行ったら隣の席のタイ人のカップルがそれぞれイヤホンをしてスマホで別々のテレビ番組を見ながら食事していてかなりビックリした。彼女と夕食に来ているのにそんな状態って想像すらしたことなかったし…まあ人それぞれやりたいようにやればいいんだけど、ここのところは俺も食事中にネットのニュースとか見ていたので周りを見ていなかったんだな…と反省した。身の回りでもいろいろなことが起こっているのに画面に夢中で気づいていないってのはもったいない話だよな。せっかく異国で生きてるんだしまだ知らないこともたくさんあるわけだし。

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先日、FBでベース弾きの先輩の紹介していたNEO SOULのギタリストCharles Berealのこの曲を聞いて以来、『めちゃかっこええ音!』と久しぶりにギターの音色とフレーズにドハマりしてひたすら繰り返して聞いている。20代の頃はACID JAZZが流行っていた影響でけっこうFUNKやSOULも聞いていたんだけど、即興を始めてから音楽自体を聞かなくなっていたもので、最近の曲やアーティストをぜんぜん知らないなぁと思って今いろいろ聞いてみている。すると刺激されたのか最近じゃ思いつきもしなかった新たなフレーズが生まれたりするのが楽しい。何かに集中すると気づかないうちに視野が狭くなってしまうけど、柔軟さを失くしたら遺憾なぁと思う今日この頃である。